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福岡地方裁判所 平成6年(わ)340号 決定

少年 M・I(昭51.2.19生)

主文

本件を福岡家庭裁判所に移送する。

理由

(認定事実)

第一  被告人、A、B、Cらは、ドライブ中に、Aが「お腹が空いたけん、恐喝しようや。」などと言ったのをきっかけに、通行人に暴力を振るうとともに、現金を脅し取ることを共謀した。被告人らは、原動機付自転車で通行中のD(当時22歳)らを発見し、「横着かね。叩こうかね。」などと言ってDらを襲うこととし、平成5年9月5日午前1時5分ころ、福岡市中央区○○×丁目×番×号付近歩道上において、Dに対し、Aが携行していたゴルフクラブでその背中を1回殴打したほか、被告人、Bらがこもごも、手拳により殴り、足で蹴るなどの暴行を加えた上、Cが「金持っとるか。金出さんや。」などと言って現金を渡すよう要求し、その要求に応じなければDの身体にさらに危害を加えかねないような態度を示して怖がらせ、よって、直ちにその場でDから現金4000円を脅し取った。(平和事件)

第二  被告人は、A、B、Cらと共謀の上、平成5年9月5日午前3時ころ、福岡市城南区○○×丁目×番×号付近の路上において、同所に駐車中のE所有の普通乗用自動車1台(時価70万円相当)を盗み取った。(マークII窃盗事件)

第三  被告人は、B、C、F、Gと共謀の上、コンビニエンスストアーにおいて、Cが持ったコンビニエンスストアー備え付けの買物かごに被告人ら各自が万引したい商品を入れ、被告人らが乗車して発車の準備を整えた自動車にCがそのかごを持ったまま飛び乗り、その自動車で逃走するという方法によって集団で万引をすることにした。被告人らは、平成5年9月7日午後10時56分ころ、福岡県大野城市○○×丁目×番××号の○○△△店において、同店経営者H(当時38歳)の所有するコンパクトディスク5枚他3点(時価合計1万3593円相当)を盗み取り、Cが右コンパクトディスク等を入れた同店備え付けの買物かごを携えて、同店前の駐車場で、Fが運転席に乗車し、被告人らが後部座席に乗車して待機中の普通乗用自動車の助手席に乗込んで逃走しようとした。そのとき、Hが被告人らの窃盗をみとがめ、Cを追跡して助手席に乗込んだCを捕まえようとしてその首付近にしがみつき、Cを自動車から引きずり降ろそうとした。これを見たFが、Cの逮捕を免れるために、自動車を急発進させると、被告人らは、Cに向かって「落ちるな。」などと声を掛け、暗黙のうちに、逮捕を免れるために、Hを走行中の自動車から振り落とすなどの暴行を加えて逃走することを共謀の上、Fが自動車の蛇行運転、急制動などを繰り返し、被告人がCの首にしがみつくHの右肩、右背部を足で蹴る暴行を加えて、Hを自動車から転落させ、路上に転倒させて、Hの左足を後輪で轢く等して、逃走した。被告人らは、その際、右の各暴行により、Hに加療約115日間を要する左腓骨骨折、左側胸部打撲挫創等の傷害を負わせた。(カゴダッシュ事件)

第四  被告人、A、B、C、Fは、ドライブ中、自転車に乗って通行中のI(当時18歳)及びJ(当時18歳)を発見し、「あいつら格好が横着だ。」、「あいつらくらそう。」などと話して、I、Jに対して暴力を振るうとともに、Iらから現金等を奪い取ることを共謀し、平成5年9月8日午前2時20分ころ、福岡市城南区○○×丁目×番××号○○△△店脇の路上において、FらがI、Jに向かって「帽子やれ。」などと言い、FがIの、BがJのかぶっていた帽子をそれぞれ取り上げた上、I、Jに対し、Aらが、こもごも手拳で殴る、足で蹴る等の暴行を加え、A及びCが「金を出せ。」などと言って現金を渡すように要求し、その要求に応じなければIらの身体にさらに危害を加えかねないような態度を示して怖がらせ、よって、(一)Jから右帽子1個(時価3000円相当)を脅し取り、(二)Iから右帽子1個(時価5000円相当)及び現金3000円を脅し取るとともに、その後、AがIに対して飛び蹴りをしてIの顔面をブロック塀に激突させる暴行を加え、被告人らの右一連の暴行によりIに加療約10日間を要する顔面打撲、上顎切歯欠損、下唇裂創等の傷害を負わせた。(七隈事件)

第五  被告人、A、B、C、Fらは、七隈事件に引き続いてドライブ中に、K(当時21歳)が運転し、他4名が乗車して通行中の普通乗用自動車を発見し、「あいつらてれてれ走りようとか。」、「あいつらくらそう。」などと言い、Kらに対して暴力を振るうとともに、Kらから現金を奪い取ることを共謀した。被告人らは、平成5年9月8日午前2時37分ころ、福岡市早良区○○×丁目×番××号の○○△△バス停留所付近の路上において、自動車を右停留所前に停車させたKらに対して、Aが、Kを右自動車から引きずり出し、傘で殴打し、右バス停留所備え付けのベンチを投げつけ、さらにK運転の自動事の同乗者L(当時19歳)を傘で殴打し、Gが車外に連れ出した同乗者M(当時21歳)を傘で殴打し、Bが同乗者N(当時19歳)を傘で殴打した上、ベンチを投げつけ、さらに、タイヤレンチでKの左側頭部を殴打し、Lの鼻下を殴打し、被告人、FがKらを傘で殴打するほか、AらがKらをこもごも手拳で殴り、足で蹴る等の暴行を加えた。この間、A及びCが右各暴行により反抗を抑圧されたKらそれぞれに対して、「金持っとうや。」などと言って現金を要求し、(一)Kから現金1万2000円を奪い取り、その際、右各暴行によりKに加療約10日間を要する頭部打撲挫創の傷害を負わせ、(二)Lからは、Lが「ない。」と嘘を言うなどしたため、現金を奪い取ることができなかったが、その際、右各暴行によりLに加療約7日間を要する顔面打撲挫創の傷害を負わせ、(三)Mからは、Mが財布を隠すなどしたため現金を奪い取ることができなかったが、その際、右各暴行によりMに加療約10日間を要する顔面、頭部打撲挫創の傷害を負わせ、(四)Nから現金1000円を奪い取った。(次郎丸事件)

第六  被告人は、Cと共謀の上、平成5年9月10日午後7時10分ころ、熊本県菊池市○○××番地付近路上において、同所に停車中のOの管理する普通乗用自動車1台(時価600万円相当)を盗み取った。(プレジデント窃盗事件)

(事実認定の補足説明)

一  弁護人及び被告人は、平和事件、七隈事件、次郎丸事件の各事実について、いずれも被告人には財物を奪い取る意思はなかった旨を主張する。被告人は、A、Bを中心とするいわゆる非行グループ(以下「被告人グループ」という。)の者とともに、いずれも同様の態様で行われた右各事件を行ったものである。以下、各事件について検討する。

1  平和事件(第一)について

(一) 事件当日、被告人、A、B、Cらが夕方、被告人グループの友人方に集まり、自動車(青いシーマ)でドライブに出かけたところ、被告人は、途中で○○町に住む友人と出会ったため、Aらと別れて、その友人と一時行動をともにした。その間、Aらは、福岡市東区○○で、走行中の自動車(CRX)にシーマを追突させた上、CRXに乗っていた者に暴力を振るい、現金を奪い取る事件(以下「多の津事件」という。)を起こした。その後、被告人は、Aらとポケットベル等で連絡を取り合い、○○町のゲームセンターでAらと再び合流し、Cなどから多の津事件の話を聞き、多の津事件の際に用いた青いシーマをAらが○○埠頭の海中に投棄するのに同行した。そして、被告人らは、事件当時、Aが運転するクラウンに被告人、Gの3人が、Bの運転するソアラにC、Pの3人がそれぞれ乗り、2台の車で福岡市内をドライブしていた(乙22、C第7回、B第8回等(回数は公判期日を示す。以下同じ。))。

(二) Aは、福岡市内をドライブ中にクラウンを運転しながら、「お腹が空いたけん、恐喝でもしようや。」と恐喝することを提案したとし(A第6回)、クラウンに同乗していたGは、Aの右提案はよく覚えていないが、車中でたかりをするという話があったとしている(G第5回)。また、AはBの運転するソアラと並んで走りながらその旨をソアラに乗っている者に伝えたとしており(A第6回)、Pも2台の自動車を並べて走りながら、恐喝をしようという話をし、ソアラの3人もこれを賛成したとしている(P第6回)。これら、A、Pの公判廷における供述は、詳細が一致する上、クラウン、ソアラの相互にAの提案を伝えた状況等は具体的であり信用できる。

他方、被告人は、Aの右発言を知らなかった旨供述するのみならず、Aが被害者の乗った原付バイクを見付けて、「叩こうかね。」などと言い、その原付バイクを追いかけ始めたときには、原付バイクが被告人らの自動車にぶつかりそうになったので文句言うのだろうとぐらいにしか思っておらず、現金を脅し取ることは考えていなかった旨供述する(第12回)。また、被告人は共犯者の別事件において証人として供述した際にも同様の趣旨の供述を行っている(乙22)。そして、B(第8回)、C(第9回)も被告人と同旨の供述をしている。しかしながら、クラウン、ソアラのいずれに乗っていた者もAの右発言を認識していたのであるから、これを否定する被告人、B、Cの供述を信用することはできない。

そうすると、被告人らは、事件直前のAの「お腹が空いたけん、恐喝でもしようや。」との提案に賛成した時点で通行人などに暴力を振るった上、現金等を脅し取ることを認識し、かつ、共犯者らの間に恐喝についての明示の共謀があったと認めることができる。

(三) なお、被告人は、捜査段階の供述調書(乙2ないし6)では、被告人らが、被害者の乗った原付バイクを見付け、被害者に暴力を振るうこととなったときには、被告人も現金を脅し取ることを認識し、被告人らの中にそれを反対するものは一人もいなかったと供述しているものの、Aの車中での恐喝をしようとの発言について何ら触れておらず、A及びPらの公判廷における供述とは合致していない。これに加えて、被告人は、CがDから金を受け取ったことは見ていなかったと、警察官に対して嘘を言っていた旨を供述している(乙6)。そればかりか、被告人は、事件当時クラウンを運転していた者は、Aであったとか(乙2、6)、被告人であったとか(乙3、4)と供述を変転させていること、また、事件当日の行動について、記憶の混乱したまま実際の行動(乙22)とは矛盾することを供述しており(乙2ないし6)、そのままの調書が作成されていることに照らせば、捜査官は被告人の言うままに調書を作成していたことが窺われるのである。

そうすると、被告人の捜査段階の供述調書は、これらを全面的に信用するわけにはいかないが、少なくとも被告人が共犯者らと被害者に暴行を加えて現金を脅し取る意図があったという限りでは、Aらの右公判廷における供述と矛盾するものではなく、信用してもよいと言うことができる。

2  七隈事件(第四)、次郎丸事件(第五)について

(一) いずれの事件も、被害者らに対して「くらそう。」などと暴力を振るう旨の会話がなされ、暴力を振るった後に、現金等を奪い取る等している。そして、被告人は、○○町でA、B、Cらとともに大きなバイクに乗った人を止めて、その者に暴力を振るって現金を奪い、その現金で皆でステーキなどを食べたことがある(以下「先行事件」という。)旨供述している(第12回)。先行事件の時期は必ずしも特定されていないが、被告人グループは、平成5年9月5日の平和事件から、被告人が逮捕される9月11日までの間は、ほとんど毎日のように被告人らで一連の事件を起こしていること、被告人グループが自動車を盗み、それを使って遊び回るようになったのは8月の下旬ころからであるので、先行事件はそのころから、平和事件までの間になされたものであると認められる。さらに、A、B、Cは、先行事件のほか、平成5年9月4日夜に多の津事件、その後は、右の者に加えて被告人も参加して、翌5日に恐喝の明示の共謀のあった平和事件を、同月8日には連続して七隈事件と次郎丸事件を行っており、この間、被告人グループはほとんど毎日のように行動を共にしていたことが認められる。

したがって、これらの事件を経験したことのある被告人らは、通行人などに対して因縁を付け、暴力を振るうことの合意がなされた場合には、それと同時に被告人グループの者相互に被害者らから現金等を奪い取る旨の共謀が成立していたものと認めるのが合理的である。

ところが、被告人らは、いずれも、公判廷では、現金等を奪い取る意思の存在そのものやその発生時期を争う旨の供述をしている。

しかし、被告人グループが一連の事件を経験してきたにもかかわらず、これらの各事件に参加した被告人らが当初から現金等を被害者から奪い取る意思がなかったとは到底考えられないところであって、いずれの事件においても、現金等を奪う意思がなかったとする被告人らの公判供述は、不自然かつ不合理であり、これらの公判供述を信用することはできない。

(二) 七隈事件について(第四)

(1) 被告人は、「車が走り始めてすぐ、Cが、私に、3,000円あった、と言いました。それで、私は、やはり思っていたとおり、Cが相手の人達から3,000円を取ったことが分かりました。Cは、一人ではとても、人をくらして金を取り上げるようなことはできないので、みんなで相手をくらしている時には相手が怖がっているので、簡単に金が取れるので、必ず金を取りに行っていたのです。」(乙20)、「車から降りる時には、別に相手の人達をどうしようという相談はしませんでしたが、私は、これから相手の二人を殴ったり蹴ったりして痛めつけること、その間にCか誰かが、いつものように相手から金を取るだろうということ、相手から金が取れた場合には、みんなで平等に分けるはずだということ、分けてくれた場合は、私も分け前を受け取るということは、分っていました。と言うのも、A達は、通りがかりの人をくらした時には、必ず金を取っていましたし、この時も、深夜でファミリーマートの明かり以外回りには開いている店などはなく、人気もなかったので、金を取れないような事情は何もなかったからです。」(乙20)などと供述しているところ、右供述の信用性は、被告人が七隈事件の3日前の平成5年9月5日に行われた平和事件に参加していた事実によっても裏付られており、また、「私の知っている限りでは、Aらが通りがかりの人を叩いた時に、金を取らなかったことはありませんでした。」(乙20)などと、9月3日以前に先行事件を起こしていたことも踏まえて供述がなされており、(一)で述べたとおり、被告人グループの行動、認識に沿うものであって、自然かつ合理的であるから、これを信用することができる。

被告人は、公判廷では現金等を奪い取る等の意思を否定するが、被告人は、既に被告人グループの者とともに先行事件、平和事件を行っており、七隈事件のわずか十数分後には後述の次郎丸事件を行っているのであるから、こうした経験を経た被告人が当初から現金等を被害者から奪い取る意思がなかったとは到底考えられず、被告人の公判供述は自己の刑事責任を軽減しようとする弁解に他ならないと言わざるを得ない。

そうすると、被告人は、被告人グループで被害者らを「くらす」などという話がでたときには、Cらが被害者らから現金を奪い取ることを認識していたはずであるから、七隈事件のときも、Cらが被害者らから現金を奪い取るかもしれないことを認識しながら、あえてAらと一緒になって被害者らを手拳で殴り、足で蹴るなどの暴行を加えたものと認めることができる。

(2) 共犯者について検討する。

まず、Aは、Bとともに被告人グループの中心として、一連の事件で被害者を選定し、率先して暴力を振るってきたのであり、前述のとおり、平和事件では自ら恐喝の実行を提案している。そして、七隈事件ではCとともに被害者らに現金を要求しているのである。したがって、Aは、被害者らを見付けて、被害者らを「くらそう。」と言ったときには、被害者らに暴力を振るった上、現金等を奪い取る意思があったと認めるのが合理的である。

これに対して、Aは、公判廷では、強盗致傷罪との罪名で裁判を受けることは嫌であるが、捜査段階での取調べではそのような気持ちは別になかったとし、調書の読み聞けもゆっくり行われた上で、調書に署名、指印した、また、現金等を取る気はなかったと主張してもその旨を調書に記載してもらえなかった、などと供述している(第6回)。しかし、Aは、検察官送致の決定後に作成された調書でも、暴行の相手、態様について大幅な訂正を申し立て、これを容れられていること(甲151)も認めている(第6回)。そして、恐喝として立件された平和事件では現金を脅し取る意思があったことを認めつつも、それとほとんど同じ態様で行われた七隈、次郎丸事件では当初から現金等を奪い取る意思ではなかった旨供述する理由については、何ら説明をすることができないのである。これは、自己の刑事責任を軽減するための弁解と言わざるを得ず、信用することはできない。

次に、B及びFは、いずれも通行中等の被害者らを認めて、Aらと「くらそう。」などと話し合って被害者らを呼び止めた直後に、被害者らから帽子を取った事実を認めている(Bにつき甲160、第9回、Fにつき甲173)ところからも明らかなように、その時点で既にB及びFに被害者らから現金等を奪い取る意思があったことは否定できないところである。

また、Cは、前述のとおり、一連の事件の間、Aらと行動を共にし、多の津、平和事件では自ら現金を要求し、奪い取る等していること、そして、七隈事件においても「くらそう。」などと話し合って、自らも被害者Iに暴行を加えた後、被害者両名に対して現金を要求しているのであり、それ以前の多の津、平和事件と犯行態様が同じであることに照らすと、Aらと一緒に被害者らに暴力を振るった上、現金を奪い取る意思があったと認められる。

(3) 以上によれば、A、B、C、被告人、Fが被害者らを「くらそう」などと話したときには、被害者らに対して暴力を振るうとともに、現金等をも奪い取ることを共謀した事実を認めることができる。

(三) 次郎丸事件(第五)について

(1) 被告人は、「今度はこのスプリンターに因縁をつけて殴ったり蹴ったりして痛めつけて、また金を取るのだろう、と分りました。私自身は、相手から金を取りたいという気持ちは特にありませんでしたが、Cが、いつもと同じように七隈で金を取っていたので、七隈では少ししか金が取れなかったので、また、今度もスプリンターの人からCか誰かが金を取ることは分っていました。」(乙20)と供述している。

被告人は、先行事件以後、Aらと同種事件を繰り返しており、また、七隈事件で被告人らが被害者から現金を奪い取ったことを知っていた(乙22)と認められるとともに、次郎丸事件が七隈事件のわずか十数分後に、同じメンバーで行われたことに照らせば、右の供述は、極めて自然であり、それを否定する被告人の公判供述は、七隈事件で述べたのと同様に不合理であり信用することはできない。

(2) 共犯者らについて検討する。

A及びBの捜査段階の供述には、被害者らから現金を奪う意思があったとの明確な供述は見られない。しかし、前述のとおりの、先行事件、多の津事件及び平和事件以後の事件において、二人は、中心的な役割を果たしてきたのであるから、その経験に照らせば、A及びBに現金を奪い取る意思があったと認めるのが合理的である。そして、その意思を否定する公判供述は、前述のとおり、自己の刑事責任を軽減あるいは逃れようとするためのものとみられ、信用することができない。

また、Bは、多の津事件及び平和事件では、奪い取る等した現金で事件後、タバコを買ったり、食事をしたりした事実については認めている(B第8回)上、七隈事件の直後に、Cが車内で現金を脅し取った旨を報告し(C第9回)、AとGもこれを聞いている(Aにつき甲155、Gにつき第5回)のであるから、同じ自動車でドライブ中のBがその報告を聞いていないはずがなく、結局Bは、右各事件ではいずれも被害者らから現金を奪い取る等した事実を知っていたと認められる。そうすると、A及びBは、事件の際には被告人グループの誰かが被害者から現金を奪い取ることを認識して事件に加担したと認めるのが合理的である。

Fは、直前の七隈事件では、自ら被害者の帽子を脅し取り、次郎丸事件はそのわずか十数分後に行われたものであって、この間、Fは、被告人グループと行動をともにしていたのであるから、前述のとおりCが車内で現金を取った旨報告しており、これを知っていたはずであることなどに照らせば、FについてもBと同様に、被告人グループの誰かが被害者から現金を奪い取ることを認識していたと認めるのが合理的である。

Gは、「七隈事件の後、みんなで『また、くらそう』と話したことがある。『くらす』というのは殴ってお金を取ることを意味している。」(第5回)旨供述している。これらの供述もまた、前述のとおりの被告人らの認識に沿うものであって、自然かつ合理的であり、信用することができる。

(3) そうすると、被告人、A、B、C、F及びGは、Aらが被害者らに因縁を付けて追いかけ回したときには、被害者らに対して暴力を振るうとともに、現金を奪い取ることを共謀したものと認めることができる。

3  したがって、被告人及び弁護人の主張はいずれも採用することができない。

4  なお、弁護人は、被告人に現金等を奪い取る意思がなかったことの根拠として、被告人が現金等を奪い取ることには積極的な関心をもっていなかったことを指摘する。

しかし、被告人グループの一連の事件における犯行態様をみると、恐喝の明確な共謀があった平和事件ですら、被害者の「態度が横着だ」といった会話が犯行のきっかけとなっており、被告人グループは暴行を加えた後に被害者に現金を要求している。七隈事件では、現金を脅し取った後にAが被害者Iに飛び蹴りをして、同人に対して最も強い暴行を加えて傷害を負わせている。次郎丸事件では、被害者に屈辱的行為を強制したり、現金を奪い取った後にBがレンチで被害者を殴打している。これらの犯行態様に照らせば、被告人グループには、現金を奪い取ろうという意識だけでなく、暴力を加えることそれ自体を楽しむという意識が併存していたと評価すべきであって、その関心がもっぱら現金等にだけ向けられていたわけではないと認められる。

そして、被告人は、そうした被告人グループの行動を認識しつつ、他の共犯者らから弱虫と思われたくないなどの理由で一連の事件に参加していた(第12回)のであるから、被告人が現金等を奪うことに積極的な関心がなかったからといって、被告人に、被告人らが共同して被害者から現金等を奪い取る意思がなかったと認めることはできないし、また、その共謀を否定することはできない。

二  七隈事件(第四)につき恐喝と傷害を認定した点について

七隈事件の公訴事実は、「被告人は、通行人から金品を強取することを企て、A、B、C、Fと共謀の上、平成5年9月8日午前2時20分ころ、福岡市城南区○○×丁目×番××号○○△△店前路上において、それぞれ自転車に乗車して通行中のI(当19年)及びJ(当19年)に対し、やにわに両名の帽子を取り上げた上、5人がかりで同人らの顔面等を手拳で殴打し、足蹴りにし、右1の顔面に飛び蹴りしてその衝撃によりブロック塀に顔面を衝突させるなどの暴行を加え、同人らに対し、『金出せ、早よ出さんか。』などと申し向けて脅迫し、同人らの反抗を抑圧して同人から現金3,000円及び帽子1個を、Jから帽子1個をそれぞれ強取し、その際、右暴行により、右Iに加療約10日間を要する顔面打撲、上顎切歯欠損等の傷害を負わせたものである。」というのである。

これに対して、当裁判所が認定した七隈事件における犯行状況は、第四のとおりである。そして、本件において強盗罪が成立するためには、被告人らの暴行、脅迫が社会通念上一般に被害者らの反抗を抑圧するに足りる程度のものでなければならないところ、暴行、脅迫が被害者の反抗を抑圧するか否かは、暴行及び脅迫の程度・結果、被害者の性別・年齢、犯行場所の状況、時刻、加害者の態度・数等の具体的状況を総合して客観的に判断するのが相当である。

これを本件についてみるに、被告人らは5名という人数であり、これに対して被害者らは2名であって、いずれも被告人ら2、3人から取り囲まれるようにして暴行を受けたのであって、いわゆる多勢に無勢といった状況であることに照らすと、被害者両名が被告人らの暴行に対して、当初被害者IがAの被害者Jに対する暴行を止めようとした以外には、全く反抗しなかったのも無理からぬところであると認められる。

しかしながら、被害者らに対して被告人らが現金を要求する前に加えられた暴行・脅迫の程度をみると、脅迫文言は被害者らを呼び止めた直後の「帽子やれ。」との言葉であり、また、被害者のいずれに対する暴行も手拳による殴打、足蹴りなどのいわゆる素手によるものであるとともに、これらの暴行による傷害の結果は被害者Iにのみ生じており、被害者Jについては鼻や口から血が流れていたとするものの(甲120)、治療を必要とするような傷害の結果は生じていない。また、被害者Jは、被害者Iがコンビニエンスストア一に逃げ込み、これを見た被告人らが犯行現場から去った後は、警察に被害を届出ることもなく直ちに帰宅している。そうすると、被害者両名に加えられた暴行の程度はそれほど高度なものではなかったことが認められる。

Aによる最後の飛び蹴りが被害者Iに加えられた最も強い暴行であるが、この飛び蹴りは、被害者IがCに現金3000円を渡した後のものであって、右現金を渡した際に、Aが被害者Iに向かって「本当にこれだけか。」などと言ったことはあるが、その後さらに現金を要求する等の行為はなされていないので、右飛び蹴りが現金の奪取に向けられた暴行であると認めることはできず、Aの嗜虐性のあらわれであるとみるべきである。

さらに、犯行現場の状況をみると、犯行時刻は午前2時20分ころと深夜ではあるものの、犯行現場はそのころも営業を続けていたコンビニエンスストアーのすぐ脇であり、被害者らはこのコンビニエンスストアーに逃げ込む等により容易に救助を求め得る状況にあったものと認めることができる。そして、現実に被害者Iは被告人による最後の飛び蹴りによって傷害を負った直後にこのコンビニエンスストアーに逃げ込んで、そこにいた店員、客等に救助を求めているのである。

これに加えて、被害者両名はいずれも当時18歳の男性であり、被告人らとほぼ同年齢であることなどを考慮すると、被告人らの暴行が被害者らの反抗を抑圧する程度に達していたとは認め難いと言わざるを得ない。

したがって、七隈事件においては、被告人らに強盗の共謀があったものとは認められるものの、被告人らが現金等を奪い取る目的で、現実に被害者らに加えた暴行等の程度は、客観的には、被害者らの反抗を抑圧するまでには至っておらず、またAが被害者Iに行った飛び蹴りは、現金奪取に向けられた暴行ではないと認められるので、被告人らの行為は恐喝及び傷害に該当するものと言うべきである。

(各認定事実の罰条)

認定事実第一 恐喝 刑法60条、249条1項

認定事実第二、同第六 窃盗刑法60条、235条

認定事実第三 強盗致傷 刑法60条、240条前段

認定事実第四の(一)、(二) 恐喝刑法60条、249条1項(二)傷害刑法60条、204条

認定事実 第五の(一)ないし(三) 強盗致傷 刑法60条、240条前段(四)強盗刑法60条、236条1項

(本件を家庭裁判所に移送することとした理由)

一  被告人の生育歴及び本件各犯行に至る経緯

被告人は、昭和51年2月に福岡市内で両親の次男として出生した。昭和55年6月に父母が離婚し、父親が親権者として被告人を養育するようになり、被告人は、母親は死亡したものと祖母らに教えられ育った。ところが、父親は酒を飲んでは家族に暴力をふるうなどしていたため、被告人の兄姉は、家庭を嫌い、家族が一体感を持つことも少なかった。また、そうした事情もあり、被告人の兄は、被告人が小学生であったころより非行が始まり、被告人自身もその影響を受けて小学生のころから万引等の非行を行うようになっていった。

被告人は、昭和63年に○○町内の中学校に進学し、本件一連の犯行の共犯者であったA、Bらと同級生として過ごした。

平成2年1月に親権者であった父親が死亡し、被告人は、一時期祖母の自宅から通学するようになるが、やがて、実母が被告人を引取り、養育することを希望するようになった。被告人は、幼少時より、死んだものと教えられた実母が実は生きていたことを知り、驚くが、姉が母の下に引き取られることとなったこともあり、被告人も母と暮すこととし、6月には熊本県菊池市に転居し、菊池市内の中学校に転校した。

被告人は、平成3年3月に菊池市内の中学校を卒業後、熊本市内で就職するが、長続きせず職を転々とし、5月には遺失物横領等で保護観察処分を受けた。被告人は、7月には福岡の祖母方に転居したが、やがて、B方等の友人宅を泊り歩くようになった。そのころから、B等とともに窃盗等の非行を行うようになった。

同年11月には本件事件の最中まで就業を続けた○○商会に就職し、会社の寮に住込んで働き続け、同年12月28日には前記保護観察は良好解除されている。

ところが、保護観察中からBらとの夜遊び等を続けていたところ、平成5年8月ころよりは、Bらと毎晩のように夜遊びするようになり、このころより、前記のA、B、Cらと被告人グループを構成し、9月に入ると、本件一連の事件を起こすに至った。

二  本件各犯行態様等について

1  マークII(第二)、プレジデント(第六)の各窃盗事件は、いずれも被告人グループが遊び回る足代わり等の目的で高級車を盗み、それらでドライブ中に食事代など遊興費目当てに、平和(第一)、七隈(第四)、次郎丸(第五)の恐喝または強盗致傷等事件を次々と起こしたものである。また、カゴダッシュ事件(第三)は、被告人グループではやっていた「カゴダッシュ」と呼ばれる集団万引が強盗致傷事件に発展したものである。

これら一連の犯行は、被告人グループにとり、いわば遊びの延長との感覚でなされたものであることは否定できないが、その動機は、余りにも自己中心的であったといわざるを得ない。

2  平和、七隈、次郎丸事件では、被告人グループは、何ら落度のない被害者らに対して、一方的に因縁を付け、暴力によってその自由意思を抑圧し、被告人らの言うなりになる被害者の態度を楽しみ、被告人グループの中には、無抵抗となった被害者にさらに暴行を加えている者もいる。また、被告人グループの中には、ゴルフクラブやタイヤレンチを武器として、被害者らに暴行を加える者もいたのであって、被告人グループの行為は非常に危険なものであった。

特に、カゴダッシュ事件では、被告人は、Cにしがみついていた被害者を走行中の自動車から蹴り落とすという極めて危険な行為を行っているのであって、その結果被害者に生じた傷害は、一連の犯行の中で、最も重大なものとなっており、被告人の行為も危険かつ悪質なものであったと言わざるを得ない。

また、各自動車窃盗事件をみると、その犯行手口は、はさみを用いてキーロックされた自動車を盗む、あるいは、被害者が買物中に目を離したすきに、エンジンキー付きの自動車を盗むなどしているのであって、その犯行態様は、悪質かつ大胆である。

一連の恐喝、強盗致傷等の事件の際の被害者は8人にも上り、中には加療約115日を要するほどの傷害を負った者もいるのであり(カゴダッシュ事件)、傷害の結果は決して軽いものではない。

また、財産的被害についてみると、恐喝、強盗致傷事件では現金だけでも2万円と少なくはなく、自動車窃盗では、高級車をねらったものであるため、総額では時価約670万円と相当高額に上っている。

これら被告人グループによる各犯行の結果は重大である。

3  これらの事情な考慮すれば、被告人の刑事責任は決して軽いものとは言えない。

三  本件の犯行態様、結果の重大性に照らせば、被告人に対し、刑事責任を追及し懲役刑を科することによって、被告人に反省を求め、矯正を施すことも考えられないではない。しかしながら、他方で、被告人は、犯行当時、17歳6か月で、現在でも19歳になったばかりの少年であり、わずかな社会経験しか持たないため思慮分別に欠けることがあったことは一面において止むを得ない。また、後述のとおり、本件一連の犯行については、被告人自身の問題のみならず、被告人の家庭環境などにも少なからず問題があり、被告人一人を責めることはできない点も見受けられる。これらの事情を考慮すると、刑罰を科す前に、保護処分によって被告人の健全な育成を図る余地があるかどうかを検討する必要があると考える。

1  被告人グループにおける被告人の地位等について

被告人は、前記一のとおりの家庭環境もあり、中学校卒業後は友人に恵まれることもなく、福岡在住の祖母の下に戻ってからは、中学校の同級生であったBらとの親交が深まることとなった。被告人が、自らBらとの親交を求めたことも窺える反面、被告人は、生来の気の弱さなども手伝い、被告人グループから仲間はずれにされることを恐れて、被告人グループと行動をともにするようになったものとみられる。

ところで、被告人は、被告人グループによる本件各犯行では、カゴダッシュ事件を除き、必ずしも中心的な役割を果たしているものではない。すなわち、被告人は、被告人グループの者達と遊び続けたいとの欲求、あるいは、被告人グループの者たちに自己の存在を認知されたい、誇示したいとの欲求から、本件各犯行に参加しているものであって、その暴行態様は、ときには傘で被害者を殴りつける(次郎丸事件)などのエスカレートもみられるが、多くの場合には、素手による暴行を加えているのみである。A、Bが被害者を選定し、率先して暴力を振るう際に、右の各欲求から、自分も何かしなければならないと思い、いわば不和雷同して暴力を振るっていたのであり、事件の最中にも、被害者らの中に女性がいることから、暴力を振るうことをためらったり、早々に被告人グループの乗っていた自動車に引き上げ、他の者の暴行を傍観していたことも認められる(次郎丸事件)。また、A、Cが被害者らに暴力を振るった上で現金を要求しこれを奪い取るなどしているのに対して、被告人は、そのような関心も薄く、ときには奪い取るなどした現金の分け前をもらうことすら忘れていたことも認められる(七隈、次郎丸事件)。

そうすると、被告人は、被告人グループの一連の犯行では、一部犯行を除き、従属的な役割を果たしたにすぎず、また、被告人グループのなかでも従たる地位でしかなかったことが認められる。

2  被告人の家庭環境等について

前記一のとおり、被告人が幼少のころに、両親が離婚し、その後の父親との生活も決して幸福ではなかったこと、そのため、被告人の兄の非行が始まり、被告人も兄から少なからぬ影響を受けて、非行を繰り返すに至ったこと、実父がすでに死亡していることもあり、本件にみられるような被告人の無軌道な生活を適切に監督する者が見当たらないなど、被告人の今後の指導監督の環境は必ずしも良好なものとは言い難い。しかしながら、被告人の兄は、すでに生活も落ち着き、真面目な社会人として生活しているので、被告人の手本となることも期待でき、被告人の兄自身もできる限り被告人を指導監督していきたいと考えている。また、実母、祖母、義姉らも現在の被告人に温かく接していこうとしている様子がみられ、被告人のかつての雇用主も、被告人の真面目な勤務態度を評価して、その再雇用に応じる用意があることも認められる。

3  被告人の性格、生活態度、反省等について

前記のとおりの被告人の生育歴、家庭環境等もあり、これまでの被告人は、家族との結びつきも薄く、また、中学校時代の学業成績も芳しくなかったことから、友人に乏しく、被告人グループの友人たちとの交友関係を生活の拠り所としてきた。また、被告人の被告人グループ内での地位等からも、被告人には主体性に乏しい面があることが窺える。そうしたこともあり、被告人の生活態度をみると、被告人は、本件一連の事件の間、被告人グループの誘いを断りきれずに、深夜からときには明け方近くまで、被告人グループと遊び回るなどの無軌道な生活をしていた。

しかしながら、他面において、その間も平成5年9月9日に至るまで、前記勤務先での勤務を続け、夜遊びのために疲れているにもかかわらず、その勤務ぶりも真面目であったことが認められる。

そして、被告人は、公判廷においては、もっと仕事をしてみたかった、これからもいろいろな仕事をしてみたいと思っていると述べるなど、少なからず勤労意欲があることも認められるのである。

被告人は、被告人なりに本件各犯行を反省し、生活態度を改めていかなければならないと考えていることは認められるものの、他方で、被告人の供述の内容、態度をみる限りでは、公判廷においては、自己の刑事責任を軽減するための弁解を続けるなど、被告人が被告人グループの行動に不和雷同し、本件各犯行を重ねた原因に対する内省に欠ける面もみられ、本件各犯行の重大さに対する認識が乏しいことも窺える。

しかし、被告人は、今後は、真面目に仕事に就き、結婚、家庭を持つことなどの目標を持つようになったと述べており、被告人には更生に向けての強い意欲があると認められるとともに、前記一で触れたとおり、過去に遺失物横領等で、保護観察処分がなされたことがあるが、それが9か月余りで良好解除となっていることからも、この被告人の意欲は信頼に足りるものと認めることができる。

そうすると、被告人の事件における関与の程度、被告人の年齢、被告人の更生への意欲などを考慮すれば、被告人は、未だ犯罪者傾向が固定化したものとは認められず、これまで収容処分を受けたことがないことも併せ考慮すれば、被告人には可塑性があると認められる。

また、本件一連の犯行の被害に対して、平和、カゴダッシュ、七隈、次郎丸の各事件の一部の被害者に被告人の兄、実母、祖母が、あるいは共犯者の保護者と共同して、慰謝の措置を講じ、一部被害弁償を行っており、被害者の中には被告人を宥恕し、あるいは寛大な処分を望んでいる者もおり、被告人に対する被害者の処罰感情も現在では和らいでいると考えられる。

4  以上の事情を総合考慮すると、本件については、刑事手続において被告人の責任の所在も明らかとなり、既に1年6か月余に及ぶ勾留により、それなりの制裁を受けたものと考えられる。そして、少年法の趣旨に鑑みれば、被告人の性格の矯正や環境の調整を行い、被告人の健全な育成を図るためには、被告人に対して、刑罰を科するよりは、今一度保護処分により、被告人に矯正教育を施し、その生活態度を改めることの方が有効であると考える。

四  よって、少年法55条を適用して、本件を福岡家庭裁判所に移送することとして、主文のとおり決定する。

(求刑懲役4年以上7年以下)

(検察官○○、弁護人○○)

(裁判長裁判官 陶山博生 裁判官 鈴木浩美 千葉俊之)

〔参考〕 受移送審(福岡家 平7(少)810号 平7.5.16決定)

主文

少年を中等少年院に送致する。

理由

(罪となるべき事実)

福岡地方裁判所平成5年(わ)第997号、平成6年(わ)第32号、第43号、第340号事件記録中の同裁判所決定原本の(認定事実)第一ないし第六の事実と同一であるから、ここにこれを引用する。

(法令の適用)

上記第一につき、刑法60条、249条1項

同第二及び第六の各事実につき、いずれも同法60条、235条

同第三の事実につき、同法60条、240条前段

同第四の事実(一)、(二)の恐喝の各事実につき、いずれも同法60条、249条1

項、同第四の(二)の傷害の事実につき、さらに同法60条、204条

同第五の(一)ないし(三)の各事実につき、いずれも同法60条、240条前段同第五の(四)の事実につき同法60条、236条1項

(処遇の理由)

本件は、少年が、共犯者らと共に順次起こした事件であって、上記第一、第四及び第五の恐喝、傷害、強盗及び強盗致傷は、いずれも無抵抗の被害者に対し、少年らが集団の威力を背景に一方的な暴行を加えたうえ、財物を威し取ったものであり、上記第三の強盗致傷は、集団窃盗を計画敢行し、逃走中の自動車から、少年らを捕らえようとして組みついていた被害者を振り落とし轢過したという極めて危険な態様の犯行であり、また、上記第二及び第六の窃盗も、当時少年らが同様に多数敢行していた自動車窃盗の一環であって、これら一連の犯行の悪質性や結果の重大性を考慮すると、少年に対しては刑事処分をもって望むことも十分考えられるところである。

しかしながら、上記第一、第四及び第五の恐喝、傷害、強盗及び強盗致傷において、少年自身が加えた暴行は比較的軽い程度に止まっているほか、金員奪取の共謀の点も少年自身は積極的に歓迎して受容したというものではなく、むしろ、証拠上は、共犯者らが金品奪取に至るかも知れないことを未必的に予見しながら、これを消極的に容認したという限度で共謀を認定できるに過ぎず、上記犯行において少年の果たした役割は、追従的なものというべきである。

また、上記第三の強盗致傷で、少年の果たした役割は大きいが、少年は仲間を助けなければならないという咄嗟の判断と少年が助手席後部座席に座っていたということから後先のことを考えることなく被害者を足蹴りにしているのであって、当時の少年の立場としては理解できないことではない。

そして、少年は,未決勾留ということではあるが、既に1年半余りに及ぶ身柄拘束も受けており、結果として、一応の社会的制裁も受けているということができ、少年の処遇についてはこのことも考慮されるべきである。

少年は、物心つかない頃に両親が離婚して父親に引き取られ、以後、飲酒癖と暴力的な傾向のある父親の元で、母親の愛情を知らずに成育した。このような父親を嫌った兄や姉同様、少年にとっても家庭は居心地のよい場ではなく、折から、非行化していた兄や不良仲間の影響もあって、小学生時代から万引きや車上荒らしを学習して非行文化に染まっており、少年の非行化は中学校進学後も次第に深まる一方であった。

平成2年1月に父親が死亡して、少年は、母親に引き取られ熊本県菊池市に転居し、平成3年3月同市内の中学校を卒業したが、その頃起こした遺失物横領等の事件で、平成3年11月、熊本家庭裁判所で保護観察処分を受けている。

少年は、中学校卒業後間もなく、福岡市に戻り、同年11月住み込みで就職した○○商会では真面目に就労しており、平成4年12月には上記保護観察も解除となったが、この間、かっての級友であり本件共犯者でもあるBらとの交友が再開し、交友関係が深まるにつれ、夜遊び等の遊興に更けるようになり、遂に本件各犯行を起こすに至っているのである。

平成5年10月29日付及び平成7年5月2日付鑑別結果通知書によれば、少年の性格等として、主体性や自律心に乏しく、交友関係に価値を置き仲間の承認を得ようとして周囲に雷同し追従し易い傾向があるとの指摘がなされているが、少年の上記生育歴をみると、少年は、家庭に恵まれず、勢い少年を迎え入れてくれる交友者らに追従することで自らの承認欲求を充たそうとし、反面交友関係から脱落することが、少年にとって自分の居場所を失いかねない恐怖感となって自律的な行動を阻害してきたものと推認できるのであり、少年の上記のような性格や行動傾向はその生育環境に由来するところが少なくないと考えられる。少年が、一方で、一旦保護観察処分を受けたものの良好解除になり、また、真面目に就労するなどして一応の更生意欲を見せながら、他方で、交友関係に引きずられ再び非行の程度を深めていったのは、上記指摘に係る少年の性格や行動傾向によるところが大きいと認められ、その意味では、少年の問題性は根深いものがあるというべきである。

しかしながら、上記鑑別結果通知書でも、このような少年の性格等問題性は大きいとしながらも固定的なものとは認められていないし、当裁判所の判断としても、少年の前歴や本件での少年の役割からしてその犯罪的傾向が著しく進行しているとも考えられず、社会生活の期間も短く、少年の更生意欲と努力次第ではなお未だ十分矯正可能な可塑性を有する段階にあると考える。

少年は、上記恐喝については金員奪取の点で共謀を否認しているが、少年らが犯した行為の罪の重さを自覚し、周囲に引きずられたとはいいながらも拒否できなかった自らの非を反省して悔悟の情を示しており、社会復帰後は、既に更生して健全な社会生活及び家庭生活を営んでいる兄の指導のもとで社会人としての再出発を図りたいと更生の決意を見せており、その決意は真摯なものであると認められる。

以上によれば、少年に対しては、その果たした役割や既に長期の身柄拘束を受けていること、さらに少年が可塑性を有する段階にあると考えられることに照らし、更生のために刑事処分を必要とするまでには至っていないと考えられるが、他方、これまでの教育環境として劣悪であった生育過程で長年に渡り形成してきた性格や行動傾向の改善を計り、強固な自律心と規範意識を植え付け、少年の犯罪的傾向を払拭するためには、中等少年院に収容して相当期間、強力な指導と教育を施すことが不可欠というべきである。

よって、少年法24条1項3号、少年審判規則37条1項を適用し、主文のとおり決定する。(裁判官 松尾嘉倫)

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